ペイシェント当事者じゃなくても。希少・難治性疾患との 「自分なりの」関わり方 前編

シリーズ企画:難病・希少疾患 シリーズ企画:難病・希少疾患

希少・難治性疾患をめぐる問題を知って「何か役に立ちたい」と思っても、支援のきっかけがつかめない人は少なくないのではないだろうか? 永松 勝利さんも以前はそうだったが、ひょんなきっかけから希少・難治性疾患の「再発性多発軟骨炎(RP)」の患者さんと知り合い、患者会の代表になった。活動を始めて15年がたった今も、仕事の傍ら様々な患者会の取り組みを続けている。そこで今回は永松さんに、当事者や家族ではない立場からの支援のヒントを伺っていく。

プロフィール

再発性多発軟骨炎(RP)患者会代表
永松勝利(ながまつ かつとし)

1964年 福岡県生まれ。2008年より再発性多発軟骨炎(RP)の支援に関わり、2012年から患者会の代表を務める。難病NET.RDing福岡とNPO法人Coco音(ここっと)の事務局長の顔も持つ。普段の仕事はボイラーのメンテナンス業務。趣味はウォーキングと落語で、患者会で自作の落語を披露した経験もある。

「気づいたら、患者会の代表になっていました」

画像:再発性多発軟骨炎(RP)患者会代表 永松勝利(ながまつ かつとし)さん

–再発性多発軟骨炎(RP)は、どんな病気なのですか? 支援に関わるようになったきっかけは?

RPは全身の軟骨や軟骨組織に炎症を起こす自己免疫疾患で、膠原病のひとつです。 重度の場合は気管に炎症を起こし、気管が閉じて呼吸困難に陥ることもあります。私がこの病気を知ったのは2008年のことでした。妻の友人の息子であるRP患者が、我が家に遊びに来ることになったのです。「我が家はバリアフリー仕様にもなっていないので、何かあったら大変だ」と思い、丁重にお断りするつもりだったのですが妻に説得され「1回限り」という気持ちで我が家にお迎えしました。すると当時小学3年生だったその子はよく動き回る元気な子で、自分の持つ「難病」のイメージが覆されました。

画像:取材イメージ

その後「何か支援できることがあったら何でも言ってください」という私の言葉を覚えていたご家族から、署名活動への協力を相談されました。話を聞いてみると、国から「指定難病」の認定を受けていないために疾患のメカニズム解明や、治療薬の開発などの研究が進まないので、認定を受けるために署名を集めようとしていました。「それなら2000人を目標に」と軽い気持ちで手伝い始めたところ、大学病院の先生のサポートもあり、半年後には4万人の署名を厚生労働省へ提出することができました。

–その後、どんな経緯で患者会の代表になったのですか?

署名を提出した時点では「ああよかった」とひと安心し、福岡で普段の生活に戻るつもりでした。ところが、直後にRPの研究班が発足し大学病院の先生から協力要請が入りまして……。無下に断れずにお手伝いを続け、2012年に患者会を発足し、なし崩し的に代表になりました。

–最初のころは「なし崩し的に」といったどちらかというと消極的な気持ちだったのですね。能動的に活動するようになったきっかけは? 

病気を理解するために、時間を作っていろんな患者さんの話を聞きに行ったことがきっかけだったかもしれません。まずは福岡県内でスタートし、その後、大阪、東京など全国を飛び回りました。その中で、痛みによるQOL(生活の質)の低下や医療費などの課題を聞き、「解決のためには難病認定が必要だ。そのために活動を強化しなければ」と心の底から感じるようになりました。

また、多くの患者さんに会ったことで、最初に持っていた「かわいそう」という同情が消えました。代わりに、それぞれの個性のすばらしさに気づき、共に悩み、喜び、成長しあいたいと考えるようになりました。

画像:RPの患者会の副代表として署名集めに奔走してくれた和久井 秀典さんとの、生前最後の記念写真。47年の短い人生でしたが、仕事も可能な限り挑戦し恋愛や結婚も望みそれを実現。彼が生きる姿は難病の課題への挑戦そのものでした。

「当事者ではない」からこその強み

画像:2014年8月の難病対策委員会で、RPが「指定難病に検討する疾患」に入っていたことを和久井さんが資料で見つけ、「あった!!」という言葉と共にこの写真を送ってくれました。それを見て一緒に号泣したことは、今も昨日のことのように鮮明に思い出せます。

–RPの患者会は2015年までに60万人の署名を集め、翌年にはRPが第1回目の指定難病の認定である「110疾患」に入り、患者さんの療養環境が大きく改善しましたね。当事者でない永松さんだからこそ果たせた役割は?

私の強みは、病状や療養生活を知ったうえで、そこに身を置かず、外側から課題を見つけられることです。例えば当事者以外の立場から難病の世界を見てみると、社会の無関心さや患者さんと社会のニーズの乖離などの問題が浮かび上がってきます。若い患者さんの活躍の場がまだまだ少ないことや、異なる難病の患者さん同士が交流する場が少ないこと、一般の方に共感いただけるような発信が不足していることも気になります。こうした課題は、当事者でないから気づくことができたと思います。

ただ、当事者ではないために、病気の苦しさや痛みを実感として理解できない難しさもあります。ステロイドの副作用を理解しようと「お薬を一錠ください」と患者会の会員さんにお願いして怒られたこともありました。ただ、こうした葛藤については「どうせ患者さん本人が感じている痛みは分からないのだから、自分だからこそできることをやろう」と、活動を続ける中で徐々に開きなおれるようになりました。

–課題解決に向けて、現在はどんなことをおこなっているのですか?

RPの患者会の代表としての大きな課題は、既存薬の保険適用です。多くの患者さんが既存薬を入手できるようになることを目指して、署名活動や啓発イベントを続けています。

難病については、社会の理解の促進や、患者さん自身の活躍の場づくりを重視しています。私は、病気の理解や共感は、症状の理解からではなく、病気と共に生きる患者さんの姿を知ることから始まると思っています。そこで、2014年には疾患を超えた難病患者さんのグループ「難病NET.RDing福岡」を結成。世界希少・難治性疾患の日(RDD; Rare Disease Day)のイベントや、難病患者さんやそうでない人たちが難病や仕事、生活について気軽に語り合う「難病カフェ別ウィンドウで開きます(現在の名前は、ほっとcafé RDing)」を開催しています。20代30代が集い、若い世代特有の課題を共有し発信する「難病みらい会議」も大きな反響があります。また、コロナ禍に入って配信を始めたYouTube 番組『RDingラジオ別ウィンドウで開きます』は、若い世代が自身の病気との付き合い方や悩みを率直に語る場、そして活躍の場として大変好評をいただいています。

画像:永松さんたちが開催している難病カフェ「ほっとCAFÉ RDING」の様子

掛け算の存在であれ

–これまでの活動を振り返り、当事者でない方に伝えたいことは?

15年間活動を続けてきて思うのは「掛け算の存在」になることの大切さです。最初に署名をお願いされた時は、署名の件数という課題のみに対応する「足し算の存在」でした。しかし、そこから一歩踏み出し、署名の目的、背景、人々が抱える課題、自分の役割を考え対応する「掛け算の存在」になったことで署名活動が大きく前進しました。その結果、難病とは縁のない「ど素人健常者」の私でも、ひとつの疾患の歴史を変え、難病の世界に小さいながらも風穴を開けることができました。

一人の掛け算の存在が一人の生き方を変え、一つの環境を変え、 いつか社会も変えていくはずだと私は信じています。それはとても面倒で、忙しくて、全くお金になりませんが、単色だった人生の彩りを鮮やかにしてくれると思います。

永松さんは「掛け算の存在」として、希少・難治性疾患の支援状況を大きく前進させてきた。後編では、支援に関する協和キリン宇部工場の社員の悩みと、永松さんからのアドバイスをお届けする。

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